トマティストレーニング体験記

発声トレーニングの巻

発声トレーニングでよくしたかったのは?

トマティス発声トレーニングは12人の定員でそれ以上は受けつけない。申込日の申込み開始時間午前10時から10分ぐらいを過ぎたころにはもう満員になると聞いていたので、10時になる直前に電話をかけ始めたがお話中で繋がらない。コンサートのチケットを取る要領でとにかく何回も切ってはかけ切ってはかけを繰り返す。ようやく繋がったときには10分を過ぎていた。もう、だめかなとおそるおそる「発声トレーニングの申込みをお願いしたのですが……」というと「はい、受けたまりました」との答え。やったあ!これで発声トレーニングがうけられるぞ。

トマティス発声トレーニングは、聴覚トレーニングを終了した人を対象におこなわれる発声を改善するためのコースである。土日の午後を使い、1週間の間をおいて2日ずつ2回実施される計4日間のトレーニングだ。

夏に聴覚トレーニングを体験して耳の変化、自分の話す声の変化を如実に感じた私は、この発声トレーニングも是非受講したくなったのだ。そもそも聴覚トレーニング自体の受講動機も英語の発音をもっと英語らしくしたいというものであった。耳が変わり、自分でやった事後トレーニングでの英語の朗読練習で、口を突き出すようにして発音する習慣は見につき英語の発音もよくなったように感じていたが、発声トレーニングまでやって声をもっと楽にコントロールできるようになれば、英語の発音もきっと向上するはずだと思った。発声と英語の発音は違うものだろうと言われそうだが、何というか「音色」の部分でもっと英語らしさが出せるようになるのではないかと考えたのである。

英語の発音だけでなく自分の声がもっとよくなったらいいなと思う気持ちも多分にあった。こもった感じの低い声だと思っていたが、初めてテープレコーダーに録音した自分の声を聞いた時には「わっ、私ってこんな声で話してるの? なんて変な声!」とつくづくいやになったものだ。自分の声は耳から入る音だけでなく身体の中を通って聞えてくる部分も付加されるから、ほかの人の耳に自分の声がどう聞えているかは本人には直接はわからない。録音した自分の声を聞いて嫌だと思った人はかなり多数に上るのではないだろうか。

しかも私が生まれ育ったのは寒冷な農村地帯である。家族を始め周囲の人は概ね口をあまり開かずボソボソと低い声で話す。大学に入って東京に出てきた時は、東京で生まれ育った女の子たちがきれいな声で歯切れよく話すのが眩しかった。おまけに私の場合見た感じが柔和らしいので、もっと高い声だと思った、外見と声のギャップが大きくて意外だったと人から言われたことが何回かある。そんなことがある度にもっと高めのきれいな声だったらいいなと思わずにはいられなかった。

さらに中学教師をしていた数年間の間に、2回、声帯が炎症を起こして声が出なくなる「嗄声(サセイ)」を経験している。1週間ほど声帯がまったく動かなくなり、かすれ声すら出なくなった。直った後も、それ以前よりさらに低い太い感じの声になってしまった。歌を歌う時も高い声が前より出にくくなった。教師をしている友人知人を考えてみると女性の場合若い時よりも声が低く太くなる人が多いようだ。一種の職業病と言えるかもしれない。ものを教える仕事を続ける限りは、声を使うことは常についてまわる。声帯に負担をかけないでもっと楽に声を出せるようになるのは仕事をしていく上でも重要だと思われた。

発声トレーニングオリエンテーション

さて発声トレーニングの当日、12人の人たちが集まった。メインインストラクターの日原先は、拝見した感じは愛らしいといった雰囲気なのだが、とにかく声がよく通る。気負ったり無理をして話したりていらっしゃる様子は微塵もなく実に楽々と自然に話していらっしゃるのに、聞く側の耳にすっと抵抗なく入ってくる感じである。ご挨拶等があった後、最初に12人の参加者はどういう目的でこのコースに参加したのかを交えて自己紹介をするように指示される。後でわかったことだが、日原先生はこの自己紹介の話の内容を聞いて各人の参加目的を知るだけでなく、ひとりひとりの声を分析的に聞いていらしたのである。各人の聴覚テストの結果は事前に確認済みで、テスト結果からだいたいこんな声だろうという予想が立つらしい。その予想と本人の実際の声を照らし合せて聞いて、どういう声の使い方をしているか把握し、トレーニングの際の参考にされるらしいのだ。

そんなことは露知らず、私が聞いていたのは話の内容だけであったが、大部分の人は語学コースの受講者で、音楽関係の方やリラクゼーションを目的に受講された方もあった。今回はどういうわけだか女性の参加者が多く、男性はひとりだけである。中学校と高校の英語の先生が1人ずつ。参加者はいずれも、話すことを楽にしたい、声のコントロールができるようにしたいといった目的を持っていた。

4日間でやることの説明はこんなふうだった。「聴覚トレーニングを受けてみなさんはいわば赤ちゃんと同じような”まっさらのお耳”になったわけです。そのまっさらなお耳の状態で、小さな子どもが言葉を学んでいく過程を体験するのです。この発声トレーニングの主な内容としては、まずハミングで声の響きを自覚します。さらに口を閉じたハミング、口を開いたハミング、舌の操作の仕方、最後に母音の舌の動かし方を学びます」最初は何のことやらよくわからないが、4日間を振り返ってみればまさにその通りなのだ。発声トレーニングの案内の紙にはコース内容として「骨導音の認識、正しい舌の位置、リラクゼーションと呼吸のための体操、母音の発声、聞く姿勢、音読」と書かれてあるのも字面を読んだだけではピンとこなかったが、確かに要約すればこの内容だった。

説明が終わった後、最初のプログラムは体操である。その名も「トマティス体操」。この体操のため参加者は動きやすい服装と床に敷くバスタオル持参でやってきたのだ。あまり広くない部屋は12人が横になるのがやっとである。全体の進行は、体操のそれぞれの動きについて先生たちが解説と実演してくださるのを見た上で、各人が実際にやってみる。実際にやっているのを先生たちが見て回ってちゃんとやっているか1人1人確認する、というやり方で進められた。

トマティス体操で気がついた

この体操の目的は、呼吸の仕方、そして身体をどうリラックスさせるかを知ることである。よい声を出すにはなんといっても呼吸が大切である。人間は息をはきながら声を出すのだから、声の元になる息を効率よく吸い、その吸気を無駄なくコントロールしながら出せれば楽に声がでるはずだ。この体操ではどこでどんなふうに呼吸しているか、身体を動かす中で改めて自覚して、呼吸をコントロールできるようにするのだ。①おなか、②肺、③胸の横、④胸の上部の順に、それぞれの部分に空気を吸いこみはきだしてみる。入れる時は1、2でさっと大きく吸い込み、少し止めて3、4と数え、はく時には1、2、3、4と倍のスピードでゆっくりと息を出すのがコツである。おなかに入れるのはいわゆる腹式呼吸と同じで私はこれが結構得意なので、ぷくっとおなかを膨らませていたら、日原先生が回っていらして「息はよく入っていますね。でも顎が上がってますよ。顎は引いて喉を背骨につけるんだったでしょう」とさっそく頭の上部をぐいと上げられてしまった。そうだ、顎を引くんだった。「あと肩に力がはいってますね。もっと力をぬいて下げるように」両肩を床にぴったりつけるように指導される。最後にやった⑤両手を上げて息を吸いちょっと止めて腕を下ろすというリラックスの呼吸は普段の生活でも取りいれるといいそうだ。

呼吸の次は、⑥胸をひらく、⑦背骨をまっすぐにする、⑧時計運動、⑨スフインクス、⑩十字、⑪ブリッジといった動きを練習する。やっているときはよくわからないままだったが、ひとつひとつの動きは、声を出すときの姿勢について、身体各部の正しい位置を自覚させ、その位置に保つことができるようにするものである。胸部を開き、背骨をまっすぐに保ち、骨盤をゆるめ、顎をひいて喉と背骨を近接させるという姿勢を、この後参加者は発声の実習で何回もやることになった。十字やブリッジの動きは身体の中心部や頭頂を自覚するためのものである。さらにリラックスの動きを三つ⑫腰をゆらしてもらう⑬脱力⑭しゃくりあげるように息を吸い一気に吐く、これで体操は終わりである。身体というものは一変に変わるものではないので、この体操は毎日続けるようにしてくださいと言われる。それぞれの動きについてどれを何回ずつというような指示はなく、自分の身体が必要とするだけやるのだそうだ。またどれぐらいの期間は続けなさいということも指示されない。ずっと続けていると、ある日やらなくてもいいとわかる日がくるのだそうである。意識しなくともここでやったことを身体が自然にやっているようになるのだとも言われた。

こう言われた時は、「何だ、そりゃ? 禅か何かの修行みたい」と思ったが、今は少し分かってきた気がする。私たちは自分の身体が半ば無意識に習慣的にやっていることには非常に無頓着なのだ。息をすることも、どんな姿勢で声をだすかもそれまで身についた方法を意識せずに続けている。この体操をすると自分の呼吸と姿勢に自覚的になりコントロールしようと努めるようになる。それが進めば普段の生活の中でも、よいやり方、つまり一番効率よく楽にできる方法を自然にとるようになっていくということではないかと思う。

体操で身体を温めリラックスさせた後は、いよいよ発声の実習である。12人いっしょにやるのかと思ったら、2つのグループに分けて6人は実習、その間他の6人はさらに聴覚トレーニングのフォローアップをするスケジュールになっていた。しかも実習は6人全員をまとめてみるのではなく、一人一人前に出て個別にできるようになるまで教えてもらえる。他の5人はその間見ていることになるわけだが、他の人がレッスンを受けているのを見るのはすごくためになった。自分がみてもらっている時は夢中でややもすると意味がよくつかめなかったりするのだが、他の人のことだと客観的に見られるので改めてそういうことだったのかと理解が進むのだ。

私は後のグループだったので最初は聴覚トレーニングを受けた。今回の受講者は英語だけでなくいろいろなコースを取った人が交じっているので、使われる素材は音楽音である。後半の2日ではハミングや朗読もとり入れられた。久々の聴覚トレーニングでモーツアルトを聞いた私はとてもゆったりした気分になった。音楽を聞きながら、ちょっと外の方に注意を向けると実習をやっている様子がかすかに耳に入ってくる。日原先生のお声とみんなの笑い声、なんだかにぎやかで楽しそうだ。

 

発声は、まず姿勢と呼吸だ!

さていよいよ実習開始。まず声を出すときの正しい姿勢の取り方からである。トマティスメソッドの場合、発声練習はまず座っておこなう。座ると骨盤の位置が正しくなり全体のバランスがとりやすくなる。しっかり正しい姿勢で立つことは難しいので、まず座った姿勢から始めるのだ。

足がぶらぶらするぐらいの高い椅子(テーブルや机を利用するとよい)にまず肩幅ほど脚を開いた形で腰掛ける。曲げた脚と座面の端がくっつくように深く座ると膝に負担がかかるので、脚と座面の端に指が1本入るぐらいの隙間をあけて座る。脚は十分に開き、尾骶骨と膝の3つの点が三角形になって身体をしっかり支えられるようにする。身体をべたりと座面につけ、ついた面積が一番ひろくなるようにする。土台を十分安定させた上に今度は上体をのせる。尾骶骨と膝の中間の位置に体重がのるように、最初身体を前と後ろに動かして一番安定する位置を見つけるようにする。すると、やや前かがみの姿勢が安定するのがわかる。

「姿勢を正しくしなさい」と言われるとふだん私たちはどんな姿勢をとるだろうか? たぶんほとんどの人は私と同じように背筋を伸ばし、おなかに力を入れ、やや上体を反らした格好をするはずだ。そういう姿勢で背骨をさわってみてほしい。腰のあたりがまっすぐではなく、むしろ中の方に反っていることに気づくはずだ。トマティスの発声法では、身体全体をリラックスさせ、余計な力がどこにも入っていないようにする。この「気をつけ」の姿勢ではおなかに力がはいり、腰の部分もうっ血し血行が阻害される。背骨をまっすぐにするとは、姿勢としてはやや前かがみになるのだ。「このかっこう何かに似ているでしょう?」と日原先生がお尋ねになる。「大仏様の姿ですね。そして赤ちゃんが座っている状態はこうでしょう。背をピンと伸ばした赤ちゃんなんていませんよね。こんなふうに身体がゆるんでいると、半分のエネルギーでものごとができるんです」

「身体をゆるめる」――身体全体をリラックスさせ、余計な力がどこにも入っていないようにすることはトマティスメソッドではとても重要なことだ。なぜなら、トマティスの発声法では声を出すときに自分の身体自体を共鳴器として使うからだ。身近にあるコップとスプーンを手に持って試してみてほしい。コップを手でしっかり握った状態で、スプーンでコップを軽く叩いてみる。するとコツコツという響きのない音がする。音を大きくしようとすれば叩く力を大きくするしかない。しかしこのコップをテーブルの上においてまた叩いてみよう。するとチーンチーンという響きのよい音がするはずだ。強く叩かなくても軽く当てるだけで響きのよい音がでる。人間の身体はこのコップのようなものだ。手でしっかり握っていれば、つまり余分な力がはいっていれば、いくら叩いてもよく響かない。しかし、身体がゆるんでいれば、ごくわずかな力を当ててやることで十分よく響く音をだす。

やや前かがみの上体の位置が決まったところで、さらに息をはいてみぞおちあたりを十分にゆるめる。骨盤の中に身体をいれるイメージを持つ。腹部に力がはいると骨盤は前に傾いてしまう。仙骨つまり骨盤のうしろの部分の骨を反らすのでなくゆるめるようにするのだ。おなかをやわらかくすると横隔膜が下がり、楽に上下させることができる。逆に背を反らし腹部に力を入れると横隔膜が上がりきった状態になり上下に動かなくなる。腹部をゆるめると同時に、肩が左右に開くように両腕を肘鉄をくらわすような位置に置く。肩を落とし上腕を外に引っ張るようにするとよい。このように腹部をゆるめ、肩を開くことで胸郭全体が最大限に広がり、肺にたくさんの息を吸い込むことができるので楽に声が出せるのだ。

ちょっと余談になるが、声を大きく出すときに「腹式呼吸」をするとよいとよく言われる。私自身も声を大きく出そうとするときは腹式呼吸でおなかをふくらませ息をいれて声を出すようにしていた。でも考えてみれば「腹式」つまりおなかで呼吸するというのは変である。息を吸い込むのはあくまで肺のはずだ。おなかに直接空気が入るわけがない。でも腹式呼吸だと確かに息を吸えばおなかがふくらみ、はくとへこむ。ものの本で読んだら腹式呼吸では肺の周りを囲んでいる胸郭の下の部分、つまり横隔膜を下げて、胸郭内の肺が十分に膨らむようにするのだそうだ。肺の体積が大きくなれば当然息がたくさん吸い込めるようになる。だから腹部をゆるめて横隔膜を楽に上下させられるようにするのは大切なことなのだ。肩の部分を開くようにするのも、やはり胸郭の横の部分を広げて、肺の体積を大きくするためである。

上体がゆるみ息も深く吸いこめるようになった次は、首から頭部の位置である。あごを引き、咽頭が頚椎(背骨の上部、首のあたりの部分)につくようにする。あごが上がると声帯が背骨から離れてしまう。こうすると頭部はやや前に下がったかっこうになり、身体で一番高い位置、つまり頭頂は、頭部のやや後ろ、女性ならポニーテールやシニヨンを結う位置になる。自分がマリオネットになってこの部分からひもでつりさげられているイメージを持つとよい。このような姿勢は人の話がよくきける「よい聞き取りの姿勢」でもある。発声するということは、声を出しながら同時に自分の声を聞くことでもある。私たちは自分の出す声をよく聞くことで、自分の声をコントロールしているのだ。

声を出すときにあごを引くようにすると一言で言ってしまえば簡単だが、これは私にはなかなか難しいことだった。考えてみて欲しい。大声をあげる時、歌で声を大きくだそうとする時、自然とあごは上がっていないだろうか。普通に話す時はどうだろう。あごを上げ気味で話している人がほとんどではないだろうか。聴覚トレーニングの事後トレーニングとして毎朝朗読をしていた時は、あごを引くことと、口を突き出すことをいつも意識するようにした。私の場合は、そんな練習を3カ月ほど続けてようやく話すときに自然とあごがひけるようになってきたようだ。それでもふっと気がつくとあごが上がっていて慌ててぐいと首のほうに引きつけることもまだよくある。

 

ハミングで声の「響き」を体感

さてこういった全身の姿勢がようやく定まったところで初めて声をだすのだ。最初にだすのは「あー」といった声ではなくハミングである。ハミングをするときには、口の奥の上方と舌の後の部分が上がってくっついている。舌の後方の部分、舌根を下げると下あごに力が入ってしまう。人間はストレスがたまると舌根が下がり話せなくなってしまうそうだ。ハミングによって声の音となる成分を取り去り、意識を声の響きに集中させるためである。声帯の振動を声として外へ出すのではなく、内側にもっていって身体を振動させるのだ。

だから、このときは「出す」というイメージではなく、むしろよい花の香りを吸いこんで全身にいきわたらせるようなイメージを頭の中にえがくとよい。ハミングをしながら、自分の出す音を右耳の上のあたりやや後方で聞くようにする。やる順序としてはまず全体の姿勢をとったら息をはいてリラックスし、聞く位置をあらかじめ決めてから初めてハミングするようにするとよい。さらにハミングしながら右耳の上の位置にとまっていた羽虫が飛び立って空中に高く遠ざかっていくようにしなさいとも言われた。

聞く位置を右耳の上にするということはとても重要なことらしい。個別に指導を受けている時、日原先生から「ほら、左の耳で聞いているでしょ!」と指摘されることが何回かあった。あるいは「聞く位置が低くなっている」「聞く位置が定まっていない」と言われて直されることは私も他の人もずいぶんあった。トマティスメソッドでは聴覚トレーニングで利き耳を右耳にすることは大切な目標である。なぜなら脳の中で言語音を処理する部分は左の脳に位置するからだ。身体と脳のつなぐ神経回路は左右が交差する関係になっているから、右耳から入った音は即座に直接左の脳に送られる。逆に左耳から入った音はいったん右脳にいき再度左側に送られるので遠回りになってしまうのだ。聴覚トレーニングでは右耳で優先的に聞くような訓練がされる。だから右の耳で聞くことの大切さはよくわかるが、聞く位置を決める、しかも頭の上方の方に意識を集中させるのはどうしてだろう?これは私の想像なのだが、声帯の振動を身体に伝えるとき、共鳴させる部分をできるだけ高い位置になるようにするためではないかと思う。そうすると高い倍音部分が強調されてよくとおる声になるのだ。

これまで述べたことを一人一人がちゃんとできるように先生たちは個別に指導される。一人一人順に前に出て机の上に座ってハミングをだしてみるのだ。よい姿勢をとり、全身をリラックスさせると聞けば何でもないように思えるかもしれないが、実際にやってみるととても難しいのだ。たいがいふだん何気なくやっている姿勢には身体のどこかに余分な力が入っていたり、左右のバランスが崩れていたり、本人が気づいていない癖があったりする。自分の番でないときは他の人の様子をみて学ぶのだが、日原先生が指導されるのを見ているととても驚くことがたくさんあった。

ハミングを聞くだけでその人の身体の状態がわかってしまわれるのだ。もちろん目で見て確認もされるのだろうが、私は同じものを見ていても何も気がつかないのに、ハミングの音だけで姿勢のどういう部分に問題があるか見ぬいて「こうしてごらんなさい」と具体的に指示される。おなかを思いっきりゆるめたり、横になって背骨をまっすぐにしたりする。本人だけでは直らないときは、他の先生たちが腕を引っ張ったり、腰を支えたりして介助する。こうすると、確かにハミングの音がそれまでよりよく響くようになるのだ。本人も周りで聞いている人たちにもわかる。そのときのよい姿勢のとり方とよくなった声を本人がはっきり自覚するのだ。それだからこそ発声トレーニングは聴覚トレーニングを受けた後でなければ受講することができない。聴覚トレーニングによって開かれた耳になり、声の響きに敏感に反応するようになっていなければ、よく通る響きのよい声を聞き分けることができないからだ。

「今回の参加者の皆さんは優秀ですね。皆さんすぐにできるようになりましたね」と日原先生はニコニコとおっしゃったが、なかなかできるようにならない場合は他の部屋に一人連れていかれてみっちり個別指導となるらしい。このようにして参加者全員がひとつひとつのステップを確実に超えさせてしまうのだ。ここまでやるのは実に大変なことだと思う。私が参加前に漠然と思い描いていた予想は、12人がまとめてやり方を教わってその中で多少は個別にみてもらう場面もあるだろう、参加者全員が全部できるようになるわけではないけれど、やり方のコツみたいなものはわかるだろう、そんな感じだった。単にやり方を教えるだけではまったく不充分なのだ。本人が自分がそれまでやっていたことのよくない点を自覚しなければ直すことはできない。逆にいえば、自覚があれば直す方向へと動いていく、さらに直すためにはどうするかを具体的に指示されれば、あとはもう本人が改善へと努力するかしないかである。今回のトレーニングはものを教える仕事に教える人間として、「教える」ことの意味をもう一度考えさせられる機会でもあった。

個別に指導される中で、さらに唇を突き出すようにすることも指導された。上唇を引っ張り上げるようにして声を出したほうが声がよく通るのだ。下あごをおろした状態だと響きが下方に落ちてしまうが、あごを前に引き出すと響きは上にいくようになる。またハミングしている時に頭の後ろ、背中、背骨に意識をもつようにということも言われた。よく響く声は前だけにとどくのではなく、身体全体が共鳴するので、音の源から波の波紋が広がるように輪を描いて広がっていくのである。日原先生が話している途中にさっと後ろを向かれて「このように後ろを向いて話しても私の声は前を向いているときと同じように聞えるでしょう」とおっしゃった時は心底びっくりした。映画『エキソシスト』で少女の首がぐるりと回転する場面顔負けのすごさだ。後ろ向きに話してもまったく同じように聞えるのである。これだけでなく日原先生が声をいかに巧みにコントロールされているかはトレーニング中に何度も見聞きする機会があった。

 

自分の声について考えてみる

2日目はまず合同の説明で数枚のハンドアウトに書かれたさまざまな絵を見ながら、1日目に学んだよい姿勢について復習した。まとめとして、こんなことも言われた。頭頂と骨盤の左右の腸骨をむすんだ三角形と、両側の鎖骨と尾骶骨をむすんだ三角形を頭に思い描く。このふたつの三角形ができるだけ近づけるとよい。あるいは、両耳に一本の棒を貫通させるイメージを描く。これを両手で順手につかみ上方から前にまわす。(まるで招き猫のスタイル)腰の部分にも棒を通しこちらは逆手につかんで下から前にまわす。自分の姿勢というのは直接に見てチェックすることはできない。鏡を見ても間接的にしかわからなかったりする。だからこういうイメージを豊富に与えてられるととても助けになると思った。

2日目もグループごとに交互に発声の実習と聴覚トレーニングが分けておこなわれた。前半の実習ではまずハミングの復習である。一人一人やっていくのを見ていると、昨日先生から指摘された点が皆よくなっているのには感心した。自分の番の時にはハミングがよく響いているがその響きをできるだけ高くするように気をつけなさいと言われた。声がもともと低くても響きの部分で高い倍音をのせるようにすると高く聞えるのだそうだ。日原先生が実演してくださったが、高い倍音をかけたときと低めの倍音をかけた時では、同じ声でも随分印象が変わる。今回は女性の参加者が大半なので高めの倍音をかけて話していらっしゃるのだそうである。もっと男性が多い場合はやや低いトーンになるようにするそうだ。話す相手によって響きをコントロールして相手がもっとも聞きやすくするとのこと、う~ん、またまたびっくりの名人技である。また、こんなこともおっしゃった。声帯というのは大きさや形など生まれつきのものだが、声をどう使うかということは赤ちゃんの時自分の身近にいた人の話し方をまねるようになる。自分の声帯にあったよい声の出しかたを見つけることはなかなか難しいのだそうだ。

そう言われれば私の母は低い声でややこもった感じの話し方だが、それを私も受け継いだんだなと思った。私の娘も声が低い。でも声は低くても高い響きを加えれば、高く聞えるのだ。低い声がわるいわけではないが、私の場合は声の低さが聞き取りにくさにもなっているようだ。高めトーンにすることで聞きよい声になるはずだ。日原先生のように響きを自在にコントロールできるようになりたい、それにはここでやったことを自分でさらに練習しなくちゃと思った。

 

口を「あけて」ハミング?ようやく第一声

皆無事ハミングができたところで、日原先生は「今度はこれまで口を閉じてやっていたのを口をあけた状態でハミングしてください」と指示される。

口をあける? 口をあけたらそこから空気がもれてハミングにならないのではないかしらん。ところがさにあらず、口をあけても舌の後方と口腔の奥がくっついたままなので、できるのだ。私の場合は口をあけるとどうしても舌が引っ込んでしまう。右手で下あごをつかみ親指を唇の下につよくあてるように指示される。そのとおりにすると確かに舌は前のほうに出てくるから不思議だ。

みんな半信半疑の様子だが、先生はできていますよと励まされさらに「ハミングしながら口をあけたり閉じたりしてください」と言われ、こちらの方も何とか全員クリア。下の前歯の後ろに舌先をつけたままにするのが私にはやはり難しい。

「ではこの時間の最後のステップです。舌の前の部分は下の歯につけたままで、舌の後ろのくっついている部分をつけたり離したりしてください。この離した時に出た音が母音なんです」各人自分の座席についたままで最初は皆一斉にやってみる。それから一人ずつ前に出てやってみるのだが、私の番が回ってきてやってみたがよくわからない。「舌が後ろの方に下がってる。舌を前に出して」何回かやってできるときもあらしいのだが、違いがよくわからない。かくして部屋から連れだされ、一人個別指導となった。アシスタントの先生がいろいろな言い方で、あれこれやってみるように教えてくださるのだが、いい時とよくない時の違いがはっきりしない。ようやくハミングの時に口の奥がくっついている部分にようやく意識がしっかり定まった。そこをつけたり離したりすればいいのだ。何回か言われていたのにそれまで私はよくわかっていなかったのだ。

違いがわかってもそれだけでは不安で、聴覚トレーニングの最中もしばらくその口の形を練習していたので聞く方はちょっとお留守だった。さて後半の発声実習である。後半の個別指導は私が最初だ。今度は舌をつけたり離したりも無事できた。やれやれである。

2日間のトレーニングが終わると次の土日まではお休みである。その間に出た宿題は、トマティス体操を最低でも1回、できるだけ毎日やってみること、朗読を毎日欠かさず続けることであった。

 

後半のトレーニング――母音の発声から

さて1週間後、後半の2日間のトレーニング開始である。後半やる内容は母音の発音と朗読の実習だ。まず合同説明では、これまた不思議な印象の絵を見ながら「a,i,u,e,o(ア、イ、ウ、エ、オ)」の発声の説明を聞く。まず閉口母音[u][i][e]。[u]は上唇を持ち上げるようにし、息の方向はななめ上に。[i]は上の前歯の間から息をまっすぐに。[e]は上の歯と下の歯の間から息が出るように意識する。開口母音の[o][a][e]。[o]では舌の高さは真ん中あたりにして口を突き出す(口角を前に出す)。[a]は口は大きくあける。[e]の時には[a]の口のまま、舌を立てるのだ。母音の発声で大事なことは、どの母音も、必ず下の歯の付け根に舌先がついていることである。
また、両手を一方は口蓋、もう片方を舌になぞらえて、腕の高さと舌の高さを連動させて、発音するとうまくいくようだ。

3日目の発声実習もやはりハミングから。「ハミングに始まり、ハミングに終わる」って感じかなと思ったりする。先週からここ数日、電車やバスの中など音がしているところで、私は他の人に気づかれないようにハミングしてみていた。口は閉じまったく動かさないから、私が音を出しているというのはまずわからない。わざとうんと響くように自分ではハミングみるのだが、「おや、なんだか振動して変だな」なんて気づいてくれる人はいないようだ。まったくの余談だが、ハミングをしているうちに腹話術のやりかたがわかったってしまった。口を閉じてハミングをしながら、閉じた口の中で舌を動かせば声になるのだ。「こんにちは。ぼく、キューちゃんです」と口を閉じたまま唇は動かさないで言ってみる。音の明瞭さは低いけど一応は腹話術になってるかな。子どもたちが小さかったら人形をもってやれば大喜びだろうけれど、あいにく中高生になってしまっている。やってみせたら「なんかコワイヨ~」と言われてしまった。

合同で説明された母音の発音を実習ではひとりひとりやってみる。「あ、い、う、え、お」なんて神妙な顔をして言うのは、小学校1年生以来かしらなどと思いながら、どの人も真剣な面持ちである。トマティスの方法だと「i」と「e」はこれまでの発音のしかたとはずいぶん異なる。だれもが小学生の頃習ったのはたぶん「i」と「e」は口を横に開くという発音のしかたのはずだ。特に「e」は横に思いっきり開いて出す音だと思っていた。はたして口を横に引かないでこのふたつの音が出るのか?と疑問に思ったのだが、これがでるのである。しかもトマティスの方法だとどちらもよく響く、きれいに聞える音になる。口を横に引く音というのはたいてい多少耳障りなものだがそれがなくなるのだ。歌を歌うことを仕事にしている人々にはすごくありがたい調音法だろうなと思った。この方法なら「a」「u」「o」も明らかによく響き、しかも明確な音に聞こえるのだ。

3日目の後半の実習では、この母音のときの舌の位置と口の形を確かめながら、各人が自分の名前や住所を言う練習をした。子音もつけるようにすると母音の形がついいい加減になりがちなので最初はゆっくり一音一音確認しながら出す。それができたところである程度まとめて滑らかに話すようにするのだ。まとめて発音するときは滑らかに音が続くように手を「さあ、どうぞ」と人に進めるような形で前に繰り出す。舌の動きをイメージするのに腕を使ったように、身体の他の部分を動かすことで発声の助けとするのはとてもうまいやり方だ。身体を使って意識しながら話せば本当に明瞭な聞きやすい音が出てくる。日原先生はこの舌と口の形でいつも話していらっしゃるから、あんなに聞きやすいんだなと改めて感心してしまう。これも無意識で常にやるようにするにはやはり練習を繰り返さねばならないだろう。最後に「夕焼け小焼け」などの童謡を母音だけで歌った。「ゆうや~け、こやけ~の」を母音だけにすると、「u,u,a,e、o,a,e~o」となり母音を意識して発音する練習にはもってこいだが、母音だけに即切りかえるのは、何でももたつく私にはとても初めてではできない。先生に導かれながら何とか歌った。

「明日は最終日です。『聞き取りの姿勢』をもう一度きちんと確認しましょう。それから「立体空間の使い方」。あと朗読の実習をしますから、皆さんそれぞれ読んでみたいものをもって来てくださいね」と言われて3か目は終了。何を朗読しようかなと考えて、最近買った『声に出して読んでみたい日本語』から選ぼうと思う。

 

声の使いかたを学ぶ

3日目にやった練習でまず面白かったのは「立体空間の使い方」である。これは近くの人に向かって話す時と遠くの人向かって話すときでは、声の使い方が変わってくる。そういう距離感を意識して声を使う練習だった。これにはボール投げを利用する。まず椅子を数個ランダムに並べて人が座る。一人ずつ前に出て椅子に座った人に向かって順順にボールを投げる。投げる時に「オーイ」と言って、投げた相手の手にボールが届いくのと同時に「オーイ」と言い終えるようにするのである。小さな部屋なので、暴投でとんでもないところにボールがぶつかったりして終始笑いが絶えなかったが、ボールを投げながら同時に声を出す方法はとても効果的だった。実際にやってみるとよくわかるのだが、近くの人には「オイ」、中距離の人には「「オーイ」、遠くの人には「オ~イ」と次第に長く伸ばすように言うようになる。さらに声のトーンが遠くに向かって話そうとするとだんだん高くなるのだ。頭で考えてもわかりそうなことだが、実際に体を使ってやると距離感の体得が実にスムーズにいく。頭と身体を一致させる大切さをまた感じた。

後半の音読実習で、私が選んだのは中原中也の詩「サーカス」である。「幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました」で始まる詩は昔からとても好きで、時々朗読することもあった。最初にまずとりあえず読んでごらんなさいと言われ一通り読んでみる。「読み慣れていますね。うん、でもちょっとこわい感じ。声をもっと高めのトーンにしてごらんなさい」それからここはもっと楽しげな感じかな」と先生がお手本を示してくださる。それを聞いた途端、私は「あ、私と解釈が違う!」と思った。サーカス自体が何か私にとっては物悲しくちょっと怪しげなものなのだ。だから「サーカス」というこの詩は少し不気味な感じと寂寥感を感じさせる。でも日原先生が感じていらっしゃるサーカスはもっと楽しげで愉快なものなのだ。私が英語のcarnivalに対して持っているイメージに近い。それが朗読からよく伝わってくる。そして両者の解釈のどちらが聞き手にとって受け入れやすいかといえば、たぶん日原先生の方なのだ。初見に近い条件でこれだけの解釈ができてしかもそのことが聞き手に伝わるように声で表現できるというのは実にすごい。

「リフレーンは同じ調子で。違っているところはトーンを変えて」「擬態語の”ゆや~ん、ゆよ~ん”は音の響きを楽しんでごらんなさい」「余韻を出したいところは一呼吸置いて、それから一気に言う、そう、そうすると際立つでしょう」そんなアドバイスをされながら読んだ私の「サーカス」はたぶんこれまでとはずっと違うものになっていた。他の人の朗読実習からも、声をうまくコントロールすることで距離感や時間の経過をあらわすこと、人物によって声の調子をかえることなどを学んだ。

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